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週末。 [記録]

土曜は仕事を終えて以前カレーを食べに行くねと
約束をしていたインド人の家へ。


大根とブロッコリー、小芋、ひよこ豆の3種類のカレーを
作っていてくれた。
それぞれ辛さが違い、どれも美味しい。
ナンを手際良く焼いて次々と出してくれるが
わたしには多すぎる。
で、あまったカレーと持ち帰った。

わたしが好きなホウレンソウのカレーは
体を温める冬のカレーだそうだ。
今回出してくれた大根のカレーは
体を冷やしてくれる夏のカレーだと教えてくれた。

日本のカレーは甘過ぎて
「あれはカレーではない」らしい。
タイカレーは「あれはカレーだ」と言っていた。

ご馳走様でした。chihiro


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ハーランド・ライジング。 [記録]


「ワタシ、レディムラサキニ日本ノココロオシエテモライマシタ。」
「カワイイお子タチハ人デナク、チキン食ベテクダサイ。」

カーネルって大佐だと思っていたのに。chihiro


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坑アレルギー。 [記録]

えらい事になっている。

件の毛染めアレルギーだ。

初日の4月3日は頭が痒くて腫れていただけだった。

翌4日はその頭が大きく腫れてきた。

その真夜中トイレのついでに鏡を見て驚いた。

見た事のないおばちゃんが写っていた。

顔が異常に腫れているのだ。

後頭部を枕で圧迫しているから顔がむくんでいるのかと思った。
頭を高くしておこうとそのまま眠ず、ネットで色々調べたりしていたら
唇に腫れを感じた。(アレルギーがあったのでこの感覚はすぐ解る)
ひどいアナフィラキシーでは気道が腫れ
呼吸困難に陥る事を思い出し不安になった。
現にそうしているうちにも目元が腫れだし視野が狭くなる。

夜間の救急相談に電話し、朝一番に皮膚科へ行くつもりである事
症状、唇の腫れによる不安などを告げると
緊急の皮膚科は非常に少ないのでかかりつけの医者に行く事を薦められ
「何かあればすぐに119番して下さい。お大事に」と言われた。

その後いつもより早く仕事に出かける連れ合いが起き
わたしの変わり様に驚いていた。
「目見えてんの?」「一人で病院行けるか?」と言われた。
しかし行けるかと言われても一人で行くしかないのである。


連れ合いが仕事にでかけて3時間後にやっと病院が開く。
その間にも増々視野が狭くなってくる。
さあ出かけようとシャワーを浴びマスクにつば付きニット帽を目深にかぶり
出かけようとした時には、いつもの5%程の視野しかない気がした。
念のために冷凍庫から食品保存用の保冷剤をひとつハンカチに包んでポケットに入れた。

で、外に出たとたん困ってしまった。
周りが見えない。解らない。
見えているのは手のひら程の足元だけ
これから先、大きな国道、いくつもの交差点、工事中の橋を
渡らなくてはならない。
不安ながらも慎重に歩いていく。
自転車が怖い。
交差点では信号が見えない。
その間にもみるみる視野が狭くなる。
その度に保冷剤で目元を冷やし視野を広げようとする。
(結構これは効果があった。ビバッ!!保冷剤)

何とか皮膚科にたどり着き診療してもらい
薬局で薬をもう。
薬局ではすぐ薬を服用したい旨を伝え
お水を出してもらった。
そのうえ余程不憫だったのか薬を剥いて手のひらにまで
乗っけてくれた。(つかの間の王様気分である)
図に乗って「これ、タクシーを呼べ!」と言いたかったが
薬の効果に期待して自力で帰宅する事にした。

帰り道もやはり難儀だった。
自転車が怖い。
横道から飛び出してこられたらどうしようもないだろう。
その上、余程挙動不審だったのかパトカーが付いてくる。
「前見えてへんねん。家まで送ってくれ!!」と言いたいところをぐっとこらえた。

水分と食料を確保しようと近所のニコニコ屋さんに立ち寄った。
さすがにコンビニなど人の多い店には入りたくない。
ニコニコ屋さんは昔からあるパン屋とお惣菜屋さんが一緒になったようなお店だ。
調理パンとミルクが欲しかったがミルクの場所が見えない。
「すいません。ミルクありますか?」と聞いたら
「いやぁ〜!どないしたん!!えらい腫れてるやないのぉ〜っ!!」といきなり言われた。
当の本人は変装バッチリと思っていたのにマスクもニット帽も
何の効果もなく異常に腫れた顔を人目にさらしていた事が解りかなり凹んだ。
何とか無事に家に着いた。
(縦の鍵穴は鍵を入れやすいが、横は入れにくい事も初めて判った。)

視野もこころなし広がったように思えた。
(朝9時以降はメールさえも打てない状態だった)
それから、おとなしくしているが効果はゆっくりだ。

今も鏡には知らないおばちゃんが写っている。

怖い映画のホルマリン液に漬かっている物体。

土左衛門。(顔だけ。体は腫れていないぞ。)

生きているものに例えると酒を10斗程飲んで
ひどい二日酔いになった朝潮太郎(現高砂親方)だ。

今日仕事はお休みにさせてもらったが
明日は早朝から休めない。
みんなの驚く姿が想像出来る。
無駄な抵抗ではあるがマスクとニット帽はして行く。
その上サングラスもして行くぞ。
(昨日まで眼鏡さえかけられない程の腫れだったのだ。)

連れ合いはわたしの顔から目を離してくれない。
一生分は見つめてくれている。
本当はこんなわたしでも恥ずかしいので見て欲しくはない。
でも、もう開き直っている。
どんどん写真で記録してます。
昨夜はにっこり微笑んで撮ってみたりもした。
ちょっと可愛かった。(ToT)
お見せ出来ないのが残念です。



昨夜はさすがに晩酌はなし。(わたしの健康のバロメーターは晩酌だ)
明日、明後日は花見に丁度いいのに。chihiro


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ケミカル。 [記録]

頭がパンパンだ。
別に忙しい訳でもないけど。

首が回らない。
今日、還付金が入ったので少しの間
裕福ではあるけど。

頭がカッカしている。
別に怒ってないけど。

昨日美容院でヘアカラーした。
今まで殆どした事がなかったが
白いものがちらほらして来たから。

前回は普通のカラー剤を使ってもらった。
耳がぐちゃぐちゃにかぶれた。

で、今回は「ヘナ」を使ってもらった。
前のより化学薬品が少ない。
前の3%くらい。
と言う事で試してみた。

以前はカラー剤を髪に塗ってもらっているしりから
「あっ。きたきた。」という感じで
目がチカチカしだして頭がなんだかどんよりしだす。

今回はそんな感じはなく快調だった。
仕上がりも髪さらさらのツヤツヤでいい感じだった。

しかしその後買い物を終え帰宅したとたん
頭がかゆくなり、腫れだした。

やってしまった。

またまけた。

刺激が少ない「ヘナ」にさえやられた。
かぶれ放題だ。

今わたしは妙に頭が大きい。
パツーンと張っている。
人相も変わっているかも。

非常に具合が悪い。



昔からそうだ。
化学製品に弱い。
オート◯ックスなんかにも長時間居たくない。
目がチカチカしてなんだか息苦しいからだ。


10年ほど前マレーシアのリゾートで
インスタントタトゥーを試してみたら染料に
化学薬品が入っていたらしく皮膚の色が
陰陽マークに抜けてしまった。
あまりにも見事に皮膚の色素がなくなり
格好が悪くなったのでその上から
本物のタトゥーを入れてやった。
オージーのタトゥー屋のお兄ちゃんに
その上にいれてと言ったらすぐに解ってくれた。
しかし公衆浴場で止められた事はない。


こうしてる間も頭がポッポして
ドクンドクンしている。


かかりつけの皮膚科は今日定休日。





やられた。chihiro


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せっかち。 [記録]

近所の公園の気の早い桜が
開花していた。




今年は3月に入ってからの方が寒い。
きれいな花もこう寒いと心底楽しめない。




せっかち。 chihiro


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長丁場。 [記録]

うちのマンションの修繕工事が始まった。



今日から、なんと6月30日まで。




その間ずっとネットが貼られる。





洗濯物を干せない日がある。





ベランダの物を撤去しなければいけない。






植木が。。。。沢山の植木が。。。。





春の日差しが。。。。







しかし長過ぎる。chihiro


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相合い傘。 [記録]

義父が亡くなった事でいろんな事を経験した。

最後にその中での、わたしのもうひとつの娘としての姿。




わたしの父と母は雨の中、お通夜に駆けつけてくれた。







誰もが父の変わり様に驚いていた。



少し前から父の弱り方を知っていたわたしは
「しんどいようなら、わざわざ来てもらわなくていい」と
母に告げていた。


しかし父は「行く」と言ったそうだ。



翌日の告別式にも。






考えてみれば、父がわたしの家を訪れたのは
十何年前の嫁入り家具を新居に運んだ日だけだった。





その後、別のマンションを買って十年以上になるが
父はもちろん、母も来てくれた事がない。


なんて母親だとずっと母だけを悪者にしていたが
どうやら、父が行くなと言っていたらしい事も
今回初めて知った。



連れ合いの実家を訪ねた事もなかった。



お通夜を行う会場が連れ合いの仕事場の傍だったので
「ちょっと遅くなると思うけど、仕事場見てあげてくれる」と
言ってみた。




父はただ頷くだけだった。




他の人の相手や、用事で全く二人の相手は出来なかったが、
出先での飲酒を控えていたはずの父がその日は
ビールを結構飲んでいた事が気になっていた。






親戚が帰り、通夜の席には義弟の友人だけになり
わたしは連れ合いから仕事場の鍵を借りた。







「お待たせ、行くで」「おお。」
いつもの愛想のない会話。





義母や連れ合いに挨拶を終えた父は
不安げな足にゆっくりと靴を履き、母と
わたしに連れられ会場を出た。





外はまだ雨が降っていた。



父に傘をさしかけて初めて相合い傘をした。


わたしと父の間にはもう一人入れる程の
距離はあったけれど。




まだ雨はしょぼしょぼと降り続いているのに
「もう、やんでるからええ。」と何度も父は言った。


わたしは仕事場まで傘を畳まなかった。




あぁたぶん最後の相合い傘になるんだろうなと思った。





特にほめる事もないような仕事場を
父と母はしきりと褒めるところを見つけては
褒めてくれた。




「便所は何処や」とトイレに行き
たったの数分の滞在だった。





いつもなら「もったいない」と絶対乗らなかったタクシーも
わたしが仕事場の前で乗せた時、父は何も言わなかった。




今まで「あいつはちゃんとやっとるのか」と心配していたらしいが
タクシーの中でしきりと「あいつはよぉやっとる。」と言ってくれたようだ。






こんな風に出来たのはあなたの躾のおかげなのですよ。






会場に戻り、一人通夜の食べ残しを片付けていた時
使いっぱなしばかりの散らかったパイプ椅子の中で
二つ小さく寄り添って机の下にきれいに直された
両親の座っていた椅子を見つけ、わたしはひとり泣いた。










お義父さん最後に素敵な贈り物ありがとう。
父と相合い傘出来たよ。chihiro


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2006年11月24日②。 [記録]

16:30 義父の波形がひどく乱れだす。
いっきに呼吸数が減る。
理容店に行っていた義弟、マキちゃんが帰って来て
「息がおかしい」と言う。
まるで二人が帰ってくるのを待っていたようだ。




看護師さんが飛ぶようにやって来る。




前のようにみんなで声をかけるが、呼吸数は増えず。
そのうち心拍数もみるみる減っていく。




16:50 連れ合いから「仕事が終った。どうだ」と電話あり。
「大丈夫だが、早く戻って下さい」とだけ伝える。
ああ、お義父さん連れ合いの働く姿を見届けたなと思う。



みんなで、続けて義父を励ます。




看護師さんがわたしを、病室の外に呼び出す。
「もうこれ以上心臓は持たない、次男さんはいつお戻りですか?
お帰りになるまで、先生を呼ばないようにします」と言われた。
「彼奴が長男なんですけど。。。」と心の中で突っ込みながら
仕事を終えてこちらに向かっている事、20分程で着くだろう事を伝える。
「じゃあ、お義父さんもがんばってらっしゃるのでお帰りになるまで
ご家族のみなさんでがんばって下さい」と言ってくれた。




みんなで声をかけ続けるが心拍は安定せず。
すこし心拍があがったりすると「お〜し!!やったら出来るぞ〜!!」
「がんばれ!!今、京橋(連れ合いが乗車している大阪環状線の駅名)あたりや!!」
「もうすぐ帰ってくるで!!」と励ます。






足元で冷えきった義父の足を擦っていたわたしは
義父の途切れ途切れの心拍数は義弟や、マキちゃんが
義父の手や身体をさするのとリンクしているのが判った。
「もう少し。。。」「早く帰って来て。。。。」
連れ合いに「絶対戻るまで大丈夫やからって言ったから」とだけ考えていた。






でも、意外だったのは義母は見るのが辛いのか
誰よりも早く諦めていたようだ。
「もう、かわいそうや。。。」とも言っていた。




17:00 連れ合いが帰ってくる。顔を見ると呆然としているのが判る。
(連れ合いのブログでは5時丁度に病室に着くと書いてあるが
もう少し過ぎていたようにも思う。わたしもこの辺はもうあやふやである。
ただただもう少しがんばって。早く帰って来てしか頭に残っていない。)




看護師さんもやって来て「手をにぎってあげて」と声をかけられ
連れ合いは我に返ったようだ。





一頻りの連れ合いと義父のお別れの時間を見計らって
看護師さんが先生を連れてくる。






17:21 先生義父が亡くなった事を告げる。
家族各々、静かに現実を見つめる。







家族といっても血を分け合っていないわたしが
少し冷静に立ち会った、数多くの偶然を考えると
義父は全て解ったうえで自分でお別れの時間を
コントロールしていたんじゃないかと思う。
家族全員が揃うまでよくがんばりました。







そう考えながら改めて穏やかだった義父の死に顔を
思い浮かべると、もう会えないことは淋しいけれど
幸せな人生を送ってこられた事が確信出来る。





義父のDNAを次世代に繋げる事を選ばなかった
鬼嫁が、後悔のなかったであろう義父の人生の
最後を何らかの形で残す事でせめてもの罪滅ぼしとする。








わたしの辞書にも後悔の文字はないけどね。chihiro



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2006年11月24日①。 [記録]

連れ合いが知らないわたしのその日を記録しておく。



何事もなかったように家に戻ってくる事を
前提に、軽く夕食の支度を終えて病院に向かう。



11時過ぎ病院に着く。
義母が明日の次男の結婚式に出席しないと言いだす。



12:41 連れ合いに「話し合ってくれ」とメールを入れる。
仕事中か返事なし。



義母の話を聞いていると看護師さんから必ず誰かが
傍についている事と言われた事を知る。

明日、わたしが義父の傍にいる事で義母納得する。




13:09 病室を出て、休憩室で連れ合いに明日の件解決したとメールする。
連れ合いから電話あり、もうすぐ病院に着くとの事。
13:12 最終打ち合わせの為ホテルで打ち合わせをしている
義弟に「明日の母のメイクをホテルの美容室に予約入れてくれ」と
メールする。



その後結婚式出席のため前もって明日仕事を変わってくれる
事になっていた H女史に仕事内容の最終確認メールを打つ。
が、義母が休憩室に小走りでやってくる
「早く来て、心臓が止まる。。。。。」H女史にメール送れず。
義父が、いつまで病室を開けているんだと怒っていたのか。

丁度そこへタイミング良く連れ合いもやってくる。
義父は連れ合いが来るタイミングを知っていたのか。




「まだあかんよ!!」「がんばって!!」などの声に
義父なんとかがんばっている。
まだ病院に来ない義弟とマキちゃんを待っているようだ。



今日仕事に行くつもりだったが、少し覚悟を決める。
病室を出て休憩室へ行く。


        
13:29 本日の仕事(15:30分打ち合わせ)変わってもらえるか
M女史に電話するが、別の仕事があるため駄目との事。
            
          
13:30 Y女史に仕事の件電話入れるが繋がらない。
すぐ、折り返しY女史電話くれる。
快く仕事引き受けてくれる。感謝。




14:00頃 打ち合わせを終えた義弟とマキちゃんがやってくる。

  
家族全員がそろう。
義父満足そう。




14:30 連れ合い仕事に向かう。夫婦とも、もしもの事があっても
連絡しない事一致していた。




義父暫く安定した状態が続く。




明日挙式にもか関わらずばたばたした2、3日を過ごしている
マキちゃんは、やはり昨日もお顔剃りに行けなかったようだ。

義弟にお顔剃りに連れて行ってあげて欲しい事告げる。


15:45 義弟も一緒にヒゲをあったって貰いに行く。





15:50 義母のお兄さん夫婦が見舞いに来てくれる。
15:55 病院の近所で理容室を見つけたと義弟からメール。
15:57 変わった事はないかと義弟からメール。
おじさんがいらしたが大丈夫と返事する。





理容室の順番待ちをしていた義弟が一度戻ってくる。
義弟と挨拶をすませたおじさん夫婦も15分程で帰られる。





義弟もう一度理容室に向かう。







義父この頃少し波形が乱れだす。



息子達がいない間はどうか何事もないようにと
一人ひそかに義父に頼んでいた。chihiro



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第三の男。 [記録]

わたしを愛し可愛がってくれた第三の男が逝ってしまった。

第一の男は父。
第二の男は連れ合い。

そして、わたしを一番可愛がってくれた義父が第三の男。

10日(金曜)の未明に、救急車で病院に運ばれ
僅か二週間。
24日(金曜)の午後5時21分。
家族全員に見守られながら。

家族を看護疲れさせる事もなく。


みんなが感心する程、「笑たはるねぇ〜。」と誰もが
言ってくれる程、穏やかな死に顔だった。


入院して1週間目の17日(金曜)に「もうあかんわ。」と言った。

どうやら、他の家族にはそんな弱音は吐かなかったようだ。

優しくしてもらいたかったのだろうが、
鬼嫁のわたしは唯唯腹が立つばかり。
「何を考えてるんや。これから何年もずっともうあかんと
思いながら生きるつもりか。つまらん終わりかたやな。
呆れるわ。」と言っていたら涙が止まらなくなった。

哀しい顔もせず「そうか、そうか。そうやな、そうやな。」と
鬼嫁の話にうなづいていた。

翌週の月曜(20日)にはみんなに「びっくりするわ。」と
言わす程元気になり「自分で車いすに乗って休憩室まで行った。
1時間程景色を眺めてた。」と何度も何度も教えてくれた。

「なっ。お義父さん気の持ちかたひとつやったやろ。」と言ったら
「そうやな、そうやな。」と言っていた。


普段はきらいな散髪を25日(土曜)に控えた次男の結婚式のため
「看護師さんに薦められたので切ってもらう。」と嬉しそうに言っていた。
これまた嫌いな風呂にも入ると言う。


「まだ、もう少し日があるから少しずつしてや。」
「急にいろいろしたらあかんよ。」 「普段と同じ過ごし方してや。」
「また寒くなる日があるから気をつけてや。」と言うと
やはり、「そうか、そうか。そうやな。」と言っていた。


「じゃあ、式場で会おうね。」と言っていたのに約束をやぶった。
鬼嫁はそれが悔しい。


その代わり、その日式が終わって家族が帰ってくるまで
わたしは義父を独り占め出来た。

「花束贈呈の時、母のとなりに父の立っている姿が見えた。」と
連れ合いは教えてくれた。
ちゃんと出席してたんやね。
着ている服まで判ったって言ってたよ。


20年前に喉頭がんで声を失ってしまった義父の
声をわたしは知らない。
話に聞くと母でも電話の声を聞き間違える程
連れ合いの声とそっくりだったらしい。



知っていた?
わたしは連れ合いの声が大好きな事を。chihiro


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